今日も足踏み

30代アルバイト男のつまらない独り言

20160326a 食材の命を奪うこと

週末につき録り溜めしてあるテレビ番組を消化中。只今2月の半ば程まで観た。


2月17日NHKのアジア食紀行ではベトナム料理の特集だった。料理研究家のコウケンテツさんがベトナムの屋台や一般家庭で料理を食べたり作ったり、というもの。僕はベトナム料理はフォー位しか知らない。太麺が苦手なので敬遠していたが、カニ出汁にカニ味噌たっぷりのスープにと聞くと非常に旨そうに思えてきた。


食品衛生的に日本では問題になりそうな直射日光に当てて発酵させる味噌、各家庭で常温発酵させて作る米麹であるメー、生きた蛙を包丁でドスッと首を落とす等等。


生きている動物を処理して料理を作るのに僕は抵抗を感じるのだが、元来料理とはそういうものなのだろう。出来る限りの材料を自ら調達して〆るのも捌くのも自ら行う。ウチの母親が幼い頃は鶏位なら日常的に〆ていたという話を聞いた。思わず鶏が絶命して血塗れになる場面を想像して血の気が引いた覚えがある。


以前一時期猟師ブームがあった時に僕も趣味として免許取得してみようかとネットで調べたことがある。『山賊ダイアリー』という漫画でも描かれていたが猟師は野鳥や猪を猟銃で撃ち殺して終わり、ということではなく獲物が傷まない様に腐り易い内蔵等をその場で出来るだけ早く取り出す必要があるとのこと。まだ暖かい獲物にナイフを突き立てて…と想像しただけで血の気が引く。そもそも血が出るのを見るのも苦手な僕には到底無理な話であったのだ。


スーパーもコンビニもない世界で生きなければならない状況にならない限り、僕は食材の命を直接自らの手で奪うことはないだろう。自分の普段意識しない所で処理された食材を使って、奪われた命に想いを馳せることもなく当たり前の事というように食らうしか出来ないのだ。






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